「大人になっても夢ってありますか?」「夢と志って何が違うんですか?」
特に心を奪われたのは、「あなたがプロになろうがなるまいが、どっちでもいい。あなたは生まれた時から、とっくに私の誇りです。」という言葉だ。
大多数の子どもは「考えたい」。そして「表現したい」と思っている。知りたい。でも、「教えられたくはない」。
死ぬときにはきっと自分の人生を問う場面がくると感じました。お前の人生はどんなものだったのか。生きた意味はあったのか。誰かに貢献することはできたか。
社会の「普通」はどのようにして作られるのでしょうか?
良く言われるのは「君から買いたい」と言わるようになったら一人前。という言葉だ。私もそう考えながら営業をしていた。しかしとある先輩は違った。
自分に足りない「何か」がわからないまま若さに任せて天狗になることもあった20代。自分の鼻をへし折ってくれた本が中国古典『貞観政要(じょうがんせいよう)』です。
今まで誰かに言われた「衝撃の一言」は?っと問われたら、あなたは何と答えますか?私の場合、幼いころ母に言われた「シーチキンはあれマグロなのよ」です。幼い私にとってそれは、「本当は地球丸いのよ」より衝撃を受けた一言でした。幼いころの話はさておき、公立中学校の教員(社会科
『させる』使役の助動詞。ある者(使役主)が他の者(被使役主=動作主)に動作を行わせることをいう。ひとまず国語科ぶってみる。良く聞かれる言葉として「生徒に考えさせる」という言い方がある。生徒1人1人が思考を巡らせ、自分の考えを持つという意味が本来の使い方であるように思えるが、教育現場
こんにちは。今回は、学校の先生についての記事です。私が公立中学校に長く勤めていたこともあって、私の友人の多くは教員です。学生時代からの友人とはなかなか連絡を取ることも会うことも簡単にはできず、私にとっては仕事での関わりの深さと友情のようなものとがごちゃごちゃになって、「仲間とともに子どもた