教育関連

問われて初めて考える

私には、3人の子どもがいる。
上から小1、年少、10か月。
最近年少の娘が、いろんな質問を私にぶつけてくる。

娘「パパ、何でお空は青いの?」
パ「ん〜?お空?何でだろうね(^^;)ママに聞いてみようか」←はぐらかす私。

答えられる時と答えられない時がある。
そして、気づく。

人は問われて初めて考え始める、と。

日常生活の中でも、考える時はだいたいそうだ。
「マズい。子どもが言うことをきかない、、、。どうしよう、、、。」←これは問題が生じて、考え始めている。

ただ、日常の背景にある「本質的な問い」に関して、我々はあまり考えようとしないのではないか。

例えば、
「どうすれば成績があがるか」は考えても「なぜ学ぶ必要があるのか」や「なぜ国数社会理英が受験科目なのか」は考えないことが多い。

「今日、傘をもっていくか」は考えても、「愛とは何か」や「良く生きるとは」については考えることはない。

中には考えたくない、もしくはあえて考えないようにしている人もいるだろう。
それはそれでいい。

逆に本当は「深く考えてみたい」という人も多いのではないだろうか。

私は中学生に社会科を教えて12年になる。
年々思うようになったこと。

それは、
大多数の子どもは「考えたい」。
そして「表現したい」と思っている。


知りたい。
でも、「教えられたくはない」。

考えたい。
でも、「考えさせられたくない」。


結論、
「思わず考えちゃう」
環境と問いを用意する。


これですね。
やはり。
考えちゃいたい。

そして、どうやら2500年以上前から人類はこの営みをしている。
「哲学(知を愛する)」と呼ぶらしい。


面白いですね〜。

答えがない問いをじっくり考えたい人、誰かと一緒に考えたい人、ウェルカム(^^)

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