社会の「普通」はどのようにして作られるのでしょうか?
学校には行くのが普通。結婚して子どもを育てるのが普通。仏滅の日は祝い事をさけるのが普通。などなど。。ありますよね~!「普通」ってやつ。
子どもは親や教師など周りの大人の「普通」を自分の中にそのまま取り込みがちです。
そして、多くの子どもはその「与えられた普通」を疑うことなく次の世代に伝えていく。社会においても、組織においても・・・。

もちろん、「普通」や「常識」はある程度必要ですし、良い方向に機能することも多いです。
ただ、「親や教師がどのような『普通の捉え方』をしているか」は子どもの人生を大きく左右させます。
私自身、その自覚が甘々だったな~っと思います。(今も甘いかもしれません。)
かつて、幸運にも自分の偏った考えに気づけたことがありました。
2016年にNHKで放送された『自閉症の君が教えてくれたこと』と題したドキュメンタリー番組を家でボ~っと見ていたときのことです。
重度の自閉症である君(東田直樹さん)は、人と会話をすることはできませんが、文字盤を使えば豊かな表現力を発揮することができます。
東田さんが、番組の中盤のインタビューでこのようなことをお話しされました。
『人としてもっとも大事なことは、命のバトンをつなげる(子孫を残す)ことだろうか?』
東田さんは、続けます。
『命がつなぐものであるなら、つなげなくなった人は、どうなるのだろう…。
他の人がバトンをつないでくれるという意見もあるだろう。でもそれなら「命は完結する」でいいと思う。
一人ひとりが人生を生き切る。』
この言葉を聞いたとき、頭を思い切り殴られたような感覚になりました。

私の「普通」はグラグラと音を立てて崩れ落ちました。
知らず知らずのうちに、人として生まれてきてもっとも大事なことは、命のバトンを「つなげる」ことだと思っていたからです。
今でも「つなげる」ことも素晴らしいことだし、つなげてくれた人たちに対する感謝の気持ちはかわりません。
ただ、これまで私が教えた子どもたちには、『「命をつなげる」ことに重きを置きすぎた教育をしてきたな』っと反省しています。
教育者として、社会の常識を疑い「自分の中の普通」を日々アップデートできる人でいたいですね(^^)
Supportiaでは、社会の常識や学校の普通を立ち止まってみんなで考えていけたらいいなぁ~っと思っています☆彡